こんにちはカリアゲです。
トップに対して死刑が求刑されている、特定危険指定暴力団 工藤会。
判決まであと6日、工藤会の知られざる内幕を元組員が証言しました。
人を殺した経験がある組員はいた?
元組員 「いますね」
実際、あなたが人を殺したことは?
元組員 「ないですよ、自分は」
利権のためにテロみたいな攻撃をしていた
TNCのインタビューに答えるこの男性。 特定危険指定暴力団「工藤会」の元組員です。 男性が工藤会に入ったのは、今から30年前のこと。
当時、「工藤会」は北九州のあらゆる利権を手に入れるため、市民に攻撃を繰り返していました。 1988年1月には、”みかじめ料”を断った健康センターに殺そ剤を投げ込み、150人を越える市民が中毒症状を起こしました。
同じ年の3月には、警察の捜査かく乱のため中国総領事館に発砲。 1990年3月には、土地問題で揉めた相手に至近距離から散弾銃を発砲しました。
ー逆らう者は容赦しないー 市民に対して明確な姿勢を示した工藤会は、北九州一帯を支配下に置き、莫大な利権を手に入れます。
どういったことで、儲かっていた?
元組員 「“カスリ(みかじめ料)”じゃないですか。ぶっちゃけた話、月々なんぼっていう感じですね、ここで商売するなら、大きい公共工事も工事費の何パーかですね、納めないと工事できない状態やったし」
最高月収は?
元組員 「1000万円、2000万円は当たり前。平均しても200ぐらいやないですかね」
出し渋るところに対しては?
元組員 「暴力。戦闘力はあった。組のためなら何も考えずに“行く人間”がいた」
2000年、長年トップを務めた溝下秀男氏(当時53)が運営から退き、野村悟被告(当時53)が組の実権を握ります。
工藤会は、更に凶悪化の一途をたどりました。 2003年8月、暴力団追放の旗振り役だった男性が経営するクラブに工藤会組員が手りゅう弾を投げ込み、12人が重軽傷を負う事件が起きました。
元組員 「むちゃくちゃするねって思いました、一般市民に対して。けど、組織運営のためにはしょうがないかという感じ。その考えはおかしいんですけどね、今考えたら」 襲撃事件は続きます。
2004~2009年までの5年間に、北九州地区を中心に、一般市民や企業を狙った40件近くの襲撃事件が発生。 そのうち、少なくとも10件が工藤会の犯行と判明しています。
襲撃の命令っていうのは、どんな感じでくる?
元組員 「まあ『行ってこい』でしょうね。殺すんか、殺さん程度にの指示くらいはある」
2011年、工藤会は野村被告が総裁の座につき、ナンバー2の会長には腹心の田上不美夫被告、ナンバー3の理事長には自身の派閥に属する菊地敬吾被告を据えました。
そんな中、男性が工藤会脱退を考える「ある事件」が起きました。 2012年4月、工藤会の捜査を担当していた福岡県警の元警部が、組員から銃撃され重傷を負いました。
警察組織に牙をむいた工藤会に対して、警察庁は全国の警察から北九州市に機動隊員約300人を招集。 工藤会に対する異例の態勢をとりました。
元組員 「(警察相手に)そこまでしたらいけんやろって。潰される感じですね、国が本気になったら。今の組織について行けん、もうそろそろかなっていう感じで」
元警部銃撃事件の後も、工藤会の暴走は続きます。 2012年、県は暴力団員の飲食店への入店を禁じる、標章制度をスタートしました。 すると、店舗が入居するビルへの放火に加え、飲食店の女性が顔を切りつけられるなどの襲撃事件が立て続けにおきました。 このうち6件が、工藤会の犯行と判明しています。
元組員 「一般市民、カタギに手を出す。ヤクザとしては笑われるようなこと」
嫌がっている組員っていたんですか?
元組員 「いましたね、やっぱり。なんで自分が行かないけんかって。現に、後悔している人間も見てきてますし、カタギになりたいって言うのもおった」 2013年、男性は工藤会を脱退しました。
そして2014年9月、警察は頂上作戦を開始。 野村被告ら主要幹部を次々と逮捕しました。 あの日から2539日ー 6日後の8月24日、4つの市民襲撃事件で判決が下る、工藤会最高幹部。 事件の関与を否認する野村被告らに、元組員の男性は…
元組員 「無罪ではないでしょうけどね。全く接点もない人間、誰が行くんですかね。メリットないですもんね。普通に考えたら、上の指示が無いと行かんと思いますね」
4つの市民襲撃事件について、元組員は「野村被告の関与があっただろう」と語ったわけです。 工藤会トップに対する注目の判決は、24日に開かれる予定です。
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