こんにちはカリアゲです。
今年最大の映画と個人的に思ってる作品MINAMATA‐ミナマタ‐
2020年製作のアメリカ合衆国のドラマ映画。
W・ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集『Minamata』(1975年)を基に、アンドリュー・レヴィタスが監督、デヴィッド・ケスラーが脚本を務める。1970年代、水銀中毒(水俣病)が熊本県水俣市の市民に及ぼす影響を記録した写真家のユージン・スミスを、製作を兼務するジョニーデップが演じる。
↑の方がW・ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさん
映画のあらすじ
1971年、アメリカの写真家W・ユージン・スミスは「ライフ」誌に掲載された数々の「フォトグラフィック・エッセイ」で有名になるが、隠遁者となっていた。
別の仕事をしていたスミスは、情熱的な日本人翻訳者のアイリーンから、水俣を訪れて水俣病を撮影・記録するよう促される。
スミスは、地元の警察や政府の共犯者である企業の貪欲さがもたらす破壊的な影響の正体を暴くために最善を尽くすことをついに確信する。
水銀中毒と水俣病による沿岸地域の被害を記録するために、彼は日本の水俣を訪れた。水俣病は、化学会社チッソが引き起こした産業公害が原因であった。ミノルタのカメラだけを持って強大な企業に立ち向かい、スミスは壊れたコミュニティの信頼を得て、この物語を世界に伝えるための画像を見つけなければならない。
しかし、スミスは現地で厳しい報復を受けることになり、アメリカに緊急送還される。しかし、この報道によって、彼はフォトジャーナリズムの象徴となる。
ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)
1918年12月30日、アメリカ・カンザス州ウィチタ生まれ。高校在学中から地元の新聞に写真を発表し、1936年ノートルダム大学に入学するも半年で中退し、翌年にニューヨーク・インスティチュート・オブ・フォトグラファーに編入。
同年「ニューズウィーク」誌のカメラマンとなり、続いて「LIFE」誌のカメラマンとなる。1941年、太平洋戦争が勃発し、「フライング」の特派員として戦地に向かう。
サイパン、沖縄、硫黄島などの戦地で取材を重ねる。1945年、沖縄戦で砲弾の爆風を受け重傷を負い、2年間カメラマンとしての仕事を休業する。その後、復帰したスミスは「楽園へのあゆみ」、「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」など数多くの優れたフォト・エッセイを「LIFE」誌に発表。
1954年、「LIFE」を辞め、翌年に世界的写真家集団「マグナム・フォト」に加わる。1959年、「ポピュラー・フォトグラフィー」誌より世界の十大写真家の一人に選出。
1961年9月日立製作所のPR撮影のため来日し、1年間日立市に滞在する。1971年8月、写真展 「真実こそわが友」を新宿・小田急百貨店で開催するため再び来日。
同年アイリーンと結婚し、水俣市に移住。3年間水俣市に暮らしながら水俣病の問題を取材。1972年には五井事件に巻き込まれ重傷を追った。1975年、アイリーンとの連名による写真集「MINAMATA」がアメリカで出版され、世界中で大反響を呼んだ。
翌年、スミスはロバート・キャパ賞を受賞。アイリーンと離婚し11月、アリゾナ大学の写真教授になるため、アリゾナ州ツーソンに移る。1977年末、脳溢血の発作で倒れ、1978年10月15日、二度目の脳溢血の発作により死去。享年59歳。写真集「MINAMATA」がスミスの遺作となった。
アイリーン・美緒子・スミス
1950年、東京生まれ。アメリカ人の父親と日本人の母親をもつ。1968年、スタンフォード大学入学。1970年に、語学力を生かして通訳者として富士フイルムのコマーシャル制作の仕事に携わりユージン・スミスと出会い、結婚後すぐに水俣に移住。1983年コロンビア大学にて環境科学の修士号取得。1991年、環境市民団体グリーン・アクション設立。
映画の主要なキャスト
ジョニーデップ- W・ユージン・スミス役
真田広之 – ヤマザキ・ミツオ役
美波- アイリーン役
國村準 – ノジマ・ジュンイチ役
加瀬亮 – キヨシ役
浅野忠信- マツムラ・タツオ役
岩瀬晶子- マツムラ・マサコ役
ビル・ナイ- ロバート・”ボブ”・ヘイズ役
めちゃくちゃ豪華なメンバーこれは間違いなくすごい作品になる。
水俣病とは?
メチル水銀により中枢神経を中心とする神経系が障害を受ける中毒性疾患。「新日本窒素肥料(後のチッソ)」水俣工場が海に流した排水にメチル水銀が含まれ、食物連鎖で魚介類に蓄積された。汚染を知らずにこうした魚介類を食べた人たちに病が広がった。
主な症状に、手足のしびれ、感覚障害、言語障害、視野狭窄などがある。
1956年5月1日、水俣湾の近くに住む5歳と2歳の姉妹が原因不明の病にかかり、水俣保健所。この日が水俣病公式確認の日とされている。
映画に対しての地元の方の反応
主要な舞台となる熊本県水俣市の高岡利治市長は、市として協力する姿勢を示しながらも、「1970年代の水俣の様子や起こったことが正確に伝えられることが大切」
「地域にとって負のイメージだけが広がらないようにお願いしたい」
「水俣を担う若い世代に自らの古里に自信を持てる内容となることを期待している」と内容への要望も口にした。
しかしその後、水俣市は2021年6月に地元有志の実行委員会が同年8月に開く先行上映会の名義後援を水俣市に依頼した際、映画が史実に即しているかや製作者の意図が不明であり被害者への差別や偏見の解消に貢献するか判断できないことや、水俣病を過去のものとして忘れたいと考えている市民がおり、後援が適切か不明なことを理由に後援を拒否した。
一方で熊本県側は「世界的に発信されることに意義がある」として上映会の後援を承諾している。
スミスの関係者
ユージン・スミスの元妻で映画の登場人物でもあるアイリーン・スミスは、映画自体については「患者さんの苦しみと闘いの素晴らしさが世の中に知られていくこと、そしてユージンのジャーナリストの信念が話題になっていくことは非常に嬉しく思います」
と評する一方、スミスや自身の描写には「この映画はドラマだし、実際に生きた人にとっては複雑な気持ちがあります」と述べた。
デップの演じたユージン・スミスについては、動きが本人に似ている場面や、撮影中に「ユージンがいる」と思えた瞬間があったことを話している。
2021年9月23日公開です。
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