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崩れ去る帝国と衛星放送
しかし、ビデオ映画は失敗し、同時に過剰な不動産投資や、通信衛星放送事業への過大投資などによって、ダイヤモンド映像は1992年に約50億円の負債を抱えて倒産するに至った。
1994年4月からアナログ方式のCSテレビ(コアテック方式スクランブル)でダイヤモンドチャンネルの本放送を開始。
月額3,500円の受信料を払って1日8時間放送のAVを見るシステムで、約1件の受信契約があったが、1996年夏に放送を中止した。
同時期には京都ローカルのKBS京都で『アイドルお嬢様』というテレビ番組を放送したり、歌舞伎町でショーパブを経営していた。
この間の1994年12月からはビデオ安売王(日本ビデオ販売)と契約してセル専用のアダル○ビデオを制作した。日本ビデオ販売はほどなくして倒産。
その後、株式会社日本映画新でビデオ制作を再開したものの、作品の多くはダイヤモンド映像時代の二次使用が主体であり、まもなく解散。1996年にはDVDによるアダルト向け作品を発売した。
ここまでは簡単にまとめたものです。
女優への豪快なプレゼント
沙羅樹(さらいつき)さんのデビュー作「S○X・サバイバル・ゲーム」は、村西監督らしいとんでもないものだった。村西監督との絡みはなく、「男性の方が何人かいらっしゃって、騎馬戦やマラソンをして勝ち抜いた人とメイクラブ」と、AV男優たちが沙羅を巡り競い合うという内容。
AVの出演本数も今とは違っていて、専属女優でも1ヵ月に1本リリースという形ではなく村西監督が出演本数を決め、沙羅は約4年間の在籍で6本の作品を撮影した。
当時のギャラだが、彼女は村西監督の会社の社員として契約していたので撮影のあるなしに関わらず給与をもらっていたそうで「1ヵ月3桁(100万円以上)は確実でした」と。そして撮影があればボーナスとして300万円。また、サイン会などがあった時は1回25万円のギャラが入るのでMAX月収500万円の時もあったそう。
さらに、村西監督からのプレゼントも。「ロケに行った時は必ず洋服を買っていただきました。海外ロケの時、女優さんは手荷物1つ、自分の日常品しかいらない。向こうで全部買ってもらえた。(洋服は)上下で100万円くらいでした」と、当時を思い出して笑いが止まらなくなる彼女。
ハワイで懲役370年
そんな村西監督、1986年にハワイで過激なロケを行いFBI合同捜査チームに逮捕され、懲役370年の求刑を受ける事態に。沙羅も撮影スタッフとして同行していたそうで「私も逮捕されました」と。
当時、警官から窓から拳銃を向けられ足輪を付けられて護送車に乗せられ、村西監督は刑務所の独房に入れられてしまったが、1週間後に沙羅をはじめとするスタッフ16名は無罪が確定して釈放。
監督も、弁護士費用や罰金など総額1億円をかけて1年後に帰国した。
村西監督と出会い、いろんな経験をして「感謝しております」と語る沙羅。今は八王子の熟女キャバクラで働いているそうです。ちなみにこの方はまだ現役みたいです。伝説の女優です。
ちなみになんで捕まったの?
(太平洋戦争で)ゼロ戦が真珠湾に特攻した同じコースにセスナ機を2機飛ばして、撮影をした。それがFBIに分かって。捕まっちゃったらしいですw
全裸監督のときのハワイは起死回生で監督がハワイに行くのですが、ここはおすすめシーンですね!
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