Netflix全裸監督、キャラモデル人物まとめ パート2

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こんにちはカリスマです。

 

今回はNetflix全裸監督、主要キャラモデル人物まとめの続きで主要キャラ以外の人物をまとめていきたいと思います。

 

まず最初小瀬田順子

 

はじめに主要キャラ以外と言ってましたが、小瀬田順子のことを入れるの忘れましたw

申し訳ないです。

 

ではいきます。

 

演じているのは伊藤沙莉さん

声がハスキーでとても好きな女優さんです。

 

実兄は吉本興業所属のお笑いコンビ「オズワルド」のツッコミ・伊藤俊介さん最近ではABCお笑いグランプリで優勝されました。

 

さて話は戻ります。小瀬田順子は村西軍団のメイク担当AV時代を支えた一人。

 

モデルの人物は2人?

 

まず豊田薫さん

 

1991年、ダイヤモンド映像に招聘されて<ヴィーナス>レーベル設立。撮影のキャスティングに関しては田中露央沙や卑弥呼などダイヤモンド映像専属女優を撮ることもあったが、多くは、きのう街でスカウトされた子が今日面接・来週撮影みたいな制作環境だったため、今までの作風を変えざるをえない状況になった。

それが<ハタチ前後の女性にも語るべき人生はある>というアプローチになり、リアルな素顔とS〇Xを追求していくドキュメントスタイルに変貌していった。 窮余の一策だったこのスタイルが、豊田さんの作風を大きく変えていった。

 

ダイヤモンド映像で活躍してると思いますが、現実は村西軍団ではないようです。ドラマではメイクから監督になってました。

 

1992年、ダイヤモンド映像倒産とともにヴィーナスも解散。

フリーランスとしてアリスジャパン、Ⅴ&Rプランニング、アートビデオ、VIPなどで監督しながら,1994年、日本初の本格的ヘアビデオ『MARY JANE』(ケイネットワーク)を発表し、爆発的ヒットになる。

 

豊田さんにとっては初の自主規制ビデオとなり、それをさらに過激にした『完全露出』が発売1年以内で4万本を売り上げ、『恥骨フェチ2』も2万本を記録した。

 

豊田薫 (AV監督) - Wikipedia

ウィキペディアから参照

 

もう一人東 清美さん

 

この方はAV女優からヘアメイクに転身したらしいです。

 

名古屋出身(大分出身とするプロフィールもある)。

1987年にデビューした、1980年代後半を代表するアイドルAV女優の1人である。愛称は「あずきよ」。健康的で大きなお尻がチャームポイント。斎藤唯さん・前原祐子さん・長崎みどりさんと共にアテナ映像の2代目セクシーメイツとしても活動。

 

デビュー作はソフトな作品だったが、事務所の意向で、当時不文律があったクリスタル映像のハードな作品に「中ひろみ」の芸名で出演。

しかし、監督の村西とおるさんがハワイで長期拘留されたことから、路線変更をふまえて芳友舎にお嬢さんぽいワンピースを着て面接に赴いたという

1988年に引退し、AV男優の臼田健治と結婚。引退作である『東清美の尻めつれつ サヨナラの向こう側』は、臼田との共演作だった。

 

うーん個人的にモデルの人物は東さんかなと思ってます。ドラマでハワイのくだりで順子はずっといましたからね。

ちょっと情報が少ないですね。

 

続いてビデオショップ「メルヘン」の社長 和田篤

 

 

演じるのはピエール瀧さん。ビデオショップ「メルヘン」の社長。『2』では巨大なレンタルチェーンとなっており、独自ブランドでの作品製作も計画する。

 

実在モデルは佐藤太治さん

 

 

ツイッターで動画があったので貼っときます。

 


拡大路線やカリスマ性のある強面の人物像が佐藤さんと重なる。

ドラマでは80年代の村西ら製作者とレンタル王との力関係や共に繁栄していく様が描かれているが、佐藤さんが村西監督と出会った時期はAV不況後の1994年であり、低迷期の村西作品の販売不振で大損害を被るなど、実際の関係に劇的な要素はない。

 

1993年9月ビデオ販売店「ビデオ安売王」のフランチャイズ展開を始めた。それまではレンタルビデオ店が中心であったビデオ業界だが、ア〇ルトビデオに関してはコピー商品や大手メーカーの焼き直し商品などはかなりの低価格で仕入れることができることから、一部の小売販売業者は潤っていた事実に着目した戦略的な新事業であった。

 

当初は、わずか10ヶ月(1994年7月)で164店舗に店舗を増やし、その後も順調に店舗数を増やし続けた。資金繰りに窮しだしてから後に、雑誌SPA、フライデーなどに全面広告で「あなたは月給200万円もらっていますか?」などの派手な広告を出し、最盛期には1000店舗を超えるまでに成長した。

 

 

加盟店に対しては、日本ビデオからの仕入れを義務付け、卸は50%の掛け率であったが、ほとんどが過去の大手メーカー作品の焼き直しやコピー商品で、ジャケットも見栄えが悪く粗末なものであったことや、本部のデータに基づいた売れ行き商品の把握や新作を1週間ごとに納品するとしたバックオーダーシステムや、在庫ローテーションシステムのいい加減さなどから、加盟店の本部に対する不満が高まり、独自ルートで仕入れる店舗が続出。

 

 

一気に資金繰りが悪化し、不渡手形を出すに至る。またディズニーのポカホンタスがビデオで発売される直前に、ディズニー作品ではないいわゆる「モックバスター」のポカホンタスを輸入販売し問題となった。

さらには扱っている商品のほとんどがポルノであったことから、派手な広告で全国展開を目指す動きに警察当局が目を付けはじめ、締め付けが厳しくなったことも禍し、崩壊への道を急速に歩むことになり、あえなく倒産するにいたる。

 

 

日本ビデオ販売 - Wikipedia

ウィキペディアから参照

 

 

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